多摩ニュータウン永山地区(第6住区) †
昭和46年3月入居開始の第6住区(公団施行)を構成する永山地区は、諏訪地区と並び多摩ニュータウンで一番最初に開発された地区である。当初は多摩ニュータウン計画とは別の「公団聖蹟桜ヶ丘地区」として買収が進んでいた場所だった。 昭和46年当時の東京の深刻な住宅不足を反映し、大規模なUR賃貸住宅が立ち並んでいる。昭和49年に京王線・小田急線の永山駅が開業するまでは、住民はバスで京王線聖蹟桜ヶ丘駅まで移動していた。いまあるような駅前の商業施設の集積も無く、近隣センター(団地内商店街)は他の地区と比べて規模が大きくなっている。歩行者専用道路(遊歩道)は、道交法に盛り込まれて間もない時期だったために控えめな導入となり、当初は南北方向の住区間幹線道路と垂直に交わる東西方向のもののみが整備された。その後、全国的に歩行者専用道路が一般的になることで南北方向のものも整備され、現在では歩行者専用道路だけで地区を縦横無尽に移動が可能になっている。入居が進むにつれ、主婦等のパートをする場が無いことが問題視され、地区の南部には事実上の小規模な工業団地である「サービスインダストリーエリア」が設置された。これは住宅以外の建設は基本的に認めない当時の新住宅市街地開発法の枠組みを緩和する条例を制定し、このエリアの用途制限を緩和して住宅以外の施設立地を可能としていた。当時は雇用の場の確保にこのような苦肉の策が取られていたが、これをきっかけに多摩ニュータウンに業務施設を誘致するための法整備をしようという動きにつながった。そして昭和57年の新住宅市街地開発法の改正で「特定業務施設」が盛り込まれることとなり、多摩センター駅周辺や別所・唐木田地区にオフィスビルが集積するようになったほか、千葉ニュータウン計画にも大きな影響を与えた。
旧公団分譲 †
| 所在地 | 入居年月 |
永山団地 [写真あり] | 多摩市永山3-1,2 | 昭和46年5月~昭和47年12月 |
永山ハイツ [写真あり] | 多摩市永山2-1 | 昭和52年3月 |
エステート永山3 [写真あり] | 多摩市永山3-4 | 昭和55年3月 |
メゾネット永山 [写真あり] | 多摩市永山5-17,20 | 昭和55年3月 |
タウンハウス永山 [写真あり] | 多摩市永山5-34他 | 昭和55年3月~昭和57年3月 |
ヒルサイド永山 [写真あり] | 多摩市永山2-30他 | 平成5年3月 |
民間分譲 †
UR賃貸 †
| 所在地 | 入居年月 |
永山団地 [写真あり] | 多摩市永山4他 | 昭和46年3月~昭和51年8月 |
プラザ永山 [写真あり] | 多摩市永山1-3-3 | 平成3年3月 |
都営 †
| 所在地 | 入居年月 |
永山三丁目団地 [写真あり] | 多摩市永山3-12 | 令和元年6月 |