多摩ニュータウン諏訪地区(第5住区) †
昭和46年3月入居開始の第5住区(公団施行)を構成する諏訪地区は、永山地区と並び多摩ニュータウンで一番最初に開発された地区である。昭和46年当時の東京の深刻な住宅不足という時代背景を反映し、多摩ニュータウンの当初の目的である住宅の大量供給を果たすため、大規模な都営住宅が立ち並んでいる。昭和48年のオイルショックで高度経済成長が終焉し、東京への人口流入が大幅に減少したことで結果的に住宅不足が解決してからは、「タウンハウス諏訪」や「グリーンメゾン諏訪」といった新しいタイプの公団住宅が実験的に供給される場となった。そういった住宅群は公団資料等で「量から質へ」と表されているように、大量供給を目的とした従来の画一的で単調なデザインから、(住宅市場で見劣りしない)良質でデザイン性に優れたものへ、公団住宅が転換するきっかけになった。公社住宅もそれに追従し、それらを合わせ多摩ニュータウンの他地区においても供給された。そしてこれ以降、画一的だった多摩ニュータウンの団地の景観は様変わりするに至った。
旧公団分譲 †
民間分譲 †
UR賃貸 †
都営 †
| 所在地 | 入居時期 |
諏訪団地 [写真あり] | 多摩市諏訪4他 | 昭和46年3月-昭和54年3月 |